水を使わずトマト・玉ネギ・ショウガだけで煮込んだ特製チキンカレー。
佐賀県伊万里市で生まれ育ち、幼少期は親戚が経営する旅館の厨房を遊び場としていた。そして、高校卒業後に上京して料理界へ。外資系企業のレストランで料理をふるまうなかでフレンチの魅力に触れ、都内のフランス料理店で修業。2店舗目ではスーシェフに抜擢される。
私の原点は、実はカレー。上京して最初に出会った先輩シェフのカレーに衝撃を受け、研究を重ねて自分ならではの特製カレーを作り上げたのが、 長い料理人生の第一歩目だったのです。先輩はすでに亡くなってしまったけれど、人や食材との出会いから刺激を得て、料理を高めていく姿勢は、 この頃に培われたように思います
住吉駅の近くにあった「Petit Restaurante L’enfant」(現在は閉店)。
28歳で独立。レストランと呼ぶにはあまりに小さな店を、ビストロとは一線を画す「プティレストラン」として経営。あくまで本格フレンチへの志を抱き、徐々に増築していく。
オープンに先がけてソムリエの資格を取得。自ら作った料理と、自ら選んだワインで勝負をする店でした。シェフとソムリエを兼務するスタイルは、当時では珍しかったものです
(写真上)猪肉をはじめ、季節の素材の旨味を閉じこめたパイ。(写真下)オープン3周年記念ポストカード。写真の料理は「子羊背肉のロースト」。
当初はいくつかのコースを用意するなど、お客様からの使い勝手がよい店を追求。開店から約3年間は苦しい時期も続いたが、近隣の方々から愛される店へと成長させていく。
今思えば、ビストロに近い料理でした。現在でもご好評いただいている、骨周りと脂身で異なる味付けをほどこす『子羊背肉のロースト』の原型はこの頃に生まれました
調理から接客までを1人でこなす自分が、もっとも力を発揮できるスタイルを探求。そして試行錯誤の末に、1日3組の完全予約制でおまかせコースを提供する「メニューのないレストラン」へとたどり着く。
私が選んだワインを私の言葉でおすすめしてくれる、自分の分身が欲しかった。そこで、私の住吉時代に活躍してくれたのが「ソムレット」です。タブレット端末が、まるでソムリエのようにワインを紹介してくれます
(写真上)トリュフの風味とマッシュルームの旨味に満ちたスープは、今も楽しめる自慢の品。(写真下)リボンのデザイン。
ご予約いただいたお客様のためだけに、自ら吟味したこだわりの食材を使い、最高の調理法で提供する「メニューのないレストラン」というスタイルが確立。食通のお客様から支持を受け、メディアでも注目され始める。
料理で心と心をつなげたい……後に銀座に構える新店のコンセプトにつながる考え方が、いつしか私のなかで生まれていました。ほら、リボンのデザインにも表れていますよね
クラシックな内装が、非日常の時間を演出する。
マダムchiekoと出会い、銀座7丁目にオープンした新店へ移転。料理やサービスを通して「心と心(クー エ クー)をつなぐ」ことを目指し、マダム・ソムリエ・パティシエ・シェフアシスタントとともに新しい一歩を踏み出す。そして、1人で営んでいた住吉時代では実現できなかった、真のカジヤマ・フレンチが開花。常に進化を遂げながら、東京の中心で多くの美食家を魅了している。
こだわりの牧場から直接仕入れる「赤城和牛」など、よりグレードの高い食材と出会ったことからも料理のクオリティが飛躍。
「賑やかな10種の野菜達のテリーヌ」など、非常に手間のかかる一品を提供できるのも料理に専念できるからこそ。
銀座では、接客やワインのプロと協力して、料理に専念するスタイルを築くことができました。だからこそ、今まででは考えられなかったほど、一皿一皿に手をかけることができています。新しいアイデアに次々と挑戦し、私の表現力は膨らむ一方です。ご来店のたびに新しい感動と出会っていただけるよう、一日ごとにお客様の喜びや食材の魅力と向き合ってまいります